厄除大祭

 
 ※祈祷予定表もご参考までにご覧下さい

厄除大祭
安全祈願祭
祈年祭
参拝者の方々、及び大祭斎行関係者が事故なく、無事に行われるようお祈りいたします。
厄除大祭 令和6年〜2月中旬 土日 厄神さんの愛称で知られる当神社の厄除大祭は、播州地方に春を告げる祭りともいわれております。
天正16年(1588年)の縁起に由来し、秘祭の特殊神事あり。
厄除大祭
終了奉告祭
及び
お札お守
焼納清祓
厄除大祭が無事斎行されたことを、神様に奉告・感謝し神事を行います。
また、年が改まると新しいお札、お守をおまつりするのが本来の慣わしの為、厄除大祭では、お参りに起こしになられた方々がお札やお守を納めていただけるよう、古札納所を用意いたしております。1年間お守下さった、納められたお札お守に感謝し、清祓し焚き上げるお祭りです。


以前までの混雑と不便を解消する為に御祈祷専用の建物(神楽殿)を平成7年より使用を始めておりますので、祭礼当日はこの建物でご祈祷を受けられますようにご案内申し上げます。
予約は必要ございませんので、下記の時間にお越し下さい。 また、正式参拝・団体参拝等は、厄除祭のみ予約は受付致しておりませんので、ご了承下さい。

ご祈祷受付 【 令 和 8年 】
2月14日(土) 午前9時〜午後 8時(最終受付午後7:30)
2月15日(日) 午前9時〜午後 8時(最終受付午後7:30)
上記の時間に神楽殿1階(赤い建物)にて受付を行っております。



お車を御利用の方はこちらをご覧下さい。

由緒と内容は被りますが・・・
和気清麻呂公と八幡神社


和気清麻呂・『前賢故実』より
和気清麻呂(わけ の きよまろ、733年(天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日)奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身)は、称徳天皇の皇位を護り、平安遷都に功績があり、「忠義の英雄」として戦前の国定教科書に掲載されていました。 清麻呂は称徳天皇に重用されていましたが、当時、天皇に寵愛されていた道鏡がまさに飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていました。 そして、ある時、道鏡一派の九州太宰府の神職が、宇佐八幡の神託として、「道鏡が皇位につけば、天下太平となろう」と伝えてきたのです。 そこで、称徳天皇は清麻呂を宇佐八幡に出張させて神託を確認させたところ、 「わが国では昔から君子と臣下は決まっている。臣下を君子とすることはない。」と、先の神託とは全く逆の内容を告げられたのでした。 このため清麻呂は道鏡の怒りを買い、大隅国(現在の鹿児島県)へ流されることになりました。 清麻呂は大隅国へ行く途中で、皇位の安泰を祈願するため宇佐詣でをしようとしたところ、道鏡の手先に暗殺されそうになりました。 その時、巨猪が突然現われて、清麻呂の御輿の前後を護衛しながら宇佐八幡までの道を無事に案内したということです。
本姓を磐梨別公(いわなしわけのきみ)と言う。鉱産氏族の伝承を持っている。磐梨の磐は、古代人が鉄は磐のように堅いと考え、鉄の代名詞になったという記載がある。また彼の所領には薬草園があった。

当社本殿に置いている衝立に描かれている山から下りてくる猪。

当御社は天平勝宝元丑年(西暦749年)2月、第46代孝謙天皇の勅願所として創立されました。後神護景雲3年(西暦769年)和気清麻呂公が皇位を奪おうとする僧道鏡の野望をくじくため、宇佐八幡宮へ行く途中、当御社境内にて、道鏡の追手が追いつき、清麻呂公を襲おうとしたとき、当山より一頭の巨猪が飛び出し、追手をことごとく蹴散らし、難を逃れることのできた清麻呂公は無事大任を果たしたと伝えられている。
清麻呂公の難を救った猪を出した当八幡宮に対し何時の頃からか誰からとなく厄除の大神として崇敬されるようになった。


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